白浜線の車両

現行車両(準備中)

過去の車両

  • 100形(初代) (1926~2008)
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    • 安房電鉄が開業するに当たって導入した車両で、モ101~モ115の計15両が新造された。
    • 17m級3ドアで単行運転が可能と使いやすい構造であり、長期間にわたって使用された。
    • なお1978年に6両ほど機器流用を後述の2300・2320形に行い、1996年に10形1両を残して7両は1979年に廃車となった。
    • モ101形非電化直前からモ2301・モ11と共に保存されている

  • 200形 (1930~?)
    • 1930年から1945年までに新造された車両である(モ201~モ210)
    • 合計で10両が新造されている(モ201~モ210)。内訳は、1930年に館山港線向けの3両、1937年に相浜線向けの5両、1944年には戦時設計の2両といった具合である。
    • 戦時設計のモ209・モ210は粗悪な設計が祟り、戦後早い段階で車体更新が行われた。

  • 300形 (1941~?)
    • 1941年に2ドアクロスシートの車両として2両が新造された(モ301・モ302)。
    • 当初は観光用車両として使用される予定だったが、登場から間もなくして戦時体制に入り、ロングシート化が行われた。
    • 1951年にはクロスシートが復活し、線内の急行列車に使用された。
    • 1978年以降は、2300・2320形とともに急行列車に使用された。


  • 2300・2320形 (1978~1997)
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    • 名古屋鉄道瀬戸線の1500V昇圧の際に余剰となった車両を6両購入したものである。制御車6両の電装化と運転台の設置が行われた。なお、種車は元々600V用の電動車であったが、瀬戸線引退時の電装解除、そして再度電装化され白浜線に入線した。
    • 輸送が改善されるまでの位置付けとされ、1997年に30・60形に代替される形で引退した。
    • 内訳
    • モ3200形モ3203→ク2300形ク2301、モ3207→ク2302、モ3209→ク2303
    • モ3200形モ3201→ク2320形ク2321、モ3202→ク2322、モ3204→ク2324
    • 再電装化→モ2301・モ2302・モ2303・モ2321・モ2322・モ2324

  • 100形(2代) (1980~1998)
    • 国鉄101系の内、元中央線の編成が導入された。101系は房総地区でも臨時列車として走っていた経験があったため、導入に繋がったとされている。
    • 非冷房の為サービスの低下が懸念されていたが、当時は輸送が大前提だったので冷房化が遅れる要因であった。
    • 編成
    • Mc110(100)・M'120(101)・Tc'130(101)×3
    • Tc150(100)・M160(100)・Mc'170(101)×3

  • 20・50形 (1993~2008)
    • 習志野都市高速鉄道750・2250形の内、早期に廃車となった703・2204編成を購入し、西武701系の台車や国鉄101系の電装品等に載せ替えて導入された車両。2両編成1本のみが在籍していた。制御電動車+制御車のMT編成を組むため、制御器は1C4Mに改造された。

  • 10形 (1996~2008)
    • 習志野都市高速鉄道100形104号車を購入した車両。再電装化と狭軌用台車の履き替えが行われた。
    • 登場順としては20・50形→10形であり、登場順と形式順が逆になっている。これは750・2250形(703・2204号車)を導入した時に、10形(100形104号車)の導入を持ち掛けられ、その際に形式を「703・2204号車は2両編成なので20形、104号車は1両編成なので10形」と予め割り振ったためだという。[要出典]
    • 余談だが、当該車両は車体更新により片運転台となった後、再度運転台が取り付けられ、そこから電装品を剥がされた後、また電装品が取り付けられるという、壮絶な人生(車生?)を送っている。

  • 30・60形 (1997~2008)
    • 20・50形で習志野都市高速鉄道での車両が気に入ったのか、1996年に余剰となった1000形の制御車6両が購入された。入線にあたっては、20・50形と同様に他社車両の足回りが流用された。

文・総武通快・ティア

  • 最終更新:2018-02-12 12:37:16

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