総武通快のメモ_白浜線
白浜線雑記
お知らせ
- 相浜支線を変更しました(2018/02/05)
車両
戦後形式
- 500形(1975~):3500形の注文流れ的な車両を思い付く
- 101系
- 「101系調査のため遅れる」みたいな認識で大丈夫ですかね?
戦前形式
- 以下のようにして形式を増やしたいとも
- 100形15両(開業時)
- 200・250形10両(1930~1945年) →200形に集約(1930~1944)
- 1930年:館山港支線向けに200形3両
- 1937年:相浜支線向けに200形5両
- 1945年1944年:館山港支線向けに250形200形2両
- 300形2両(1941年)
- 250形というのは戦時設計による形式変更車ですね
- 「じゃあ100形と200形の違いはなんぞや」となるんですが
- 300形は「観光目的の2扉クロスシート車両を導入するも、時節柄輸送を重視しなければならなくなり、入線から間もなくしてロングシート化された」みたいな車両(そこ「それなんて京成1500形」なんて言わない)
- ただ、のちに2300・2320形を導入することを考えると、役割が被るんですよね……(なので、あってもなくてもいい)
- あるいは後の車体更新で一般車両に格下げしてしまうか
- 運用(1970年代前半・朝ラッシュ)
- 白浜線:毎時2本→3連3運用
- 館山港線:毎時4本→2連2運用
- 相浜線:毎時1本→3連2運用
- 予備車6両(3連2本相当)
→合計25両
運用数
車両や運行本数が多いのは一向に構わないのですが、ダイヤと車両数の整合性がどうしても気になってしまうので、ざっくり計算してまとめました。
普通
前提:31分(路線距離13キロ、表定速度25km/h)
運行本数 | 所要数 | 式 |
20分間隔 | 4運用 | (31+9)/20*2=4 |
30分間隔 | 3運用 | (31+14)/30*2=3 |
40分間隔 | 2運用 | (31+9)/40*2=2 |
60分間隔 | 2運用 | (31+29)/60*2=2 |
- 表定速度が25キロなのは岳南電車と似ていると思ったため
- 岳南の駅間は1.02キロ、表定速度26.3km/h(≒9.2km/21分*60)
- 一方、白浜線の駅間は1.28キロ。表定速度を25キロとしたのは「キリがよい」以外の理由はないです(あと岳南って最高速度40km/hぐらいだった気がするので若干ダイヤを立てていいのかもしれない)
急行
前提:22分(路線距離13キロ、表定速度35km/h)
30分間隔 | 2運用 | (22+8)/30*2=2 |
60分間隔 | 1運用 | (22+8)/60*2=1 |
- 表定速度35km/hはテキトー(ホントに根拠ない)
総合
- 1980年頃のダイヤ?(合計6編成)
- 急行(毎時1本):3運用
- 普通(毎時2本):1運用
- 予備車:2編成
- 2008年のダイヤ?(未定)
- 普通(毎時2本):3運用で1両or2両
- 予備車:2両
路線
- 白浜線
- 館山~安房白浜間:12.8キロ・31分
- 電化時代は3両、非電化以降は2両で考えていまする
- 相浜支線
- 館山~相浜間:11.7キロ・28分
- 久所~相浜間:3.6キロ・8分
- 電化時代は館山まで直通、急行列車もあり
- 「10形を導入した頃から区間運転が増え、非電化以降は一部の送り込みを除いて区間運転が主となる」みたいな
- 館山港支線
- 館山~館山港間:3.5キロ・8分
- 「1930年に館山飛行場が置かれた際に建設。館山市が軍都・水産基地・海水浴などの産業で栄えるきっかけとなった。半分軍用路線ということもあり、戦時中には館山~潮留橋間の複線化、更には館山港支線向け車両の新造が行われたこともあった。元々は館山飛行場に通じていたが、戦後は港側に線路が振り向けられた。」とかいう設定
- せっかく単行車両を設定したので、この区間に単行車両を入れたいとも
- 最終更新:2018-02-12 16:47:36