3050形

界磁添加励磁制御になった赤電

基本性能

  • 編成:3050(Mc)+3050(M')+3050(M)+3050(Mc')
  • モータ出力・ギア比:75kW×4・6.0
  • 制御方式:界磁添加励磁制御(1C8M)
  • ブレーキ方式:回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
  • 起動加速度
    • 1994~2003年:2.5km/h/s
    • 2003~2005年:3.5km/h/s
  • 最高速度:85km/h(環状)、100km/h(湾岸)

概要

1993年より導入された車両で、4両編成4本が在籍していた。界磁添加励磁制御に改造されたのが特徴であるが、電気ブレーキが他の赤電と協調しない欠点があった。2005年までに3150形と交代する形で引退した。

あらまし

1995年の南船橋延伸の際、延伸による所要本数増加の他、既存路線の増発などで、車両を増備する必要がでてきた。習志野都市高速鉄道では、1991年から1992年にかけて5000形を導入していたが、5000形は元々非冷房車で、冷房化改造が必要であるのがネックであった。

また、この頃には全電動車の導入が進み、消費電力の増加が問題になっていたが、一部を回生ブレーキ車に改造することで、消費電力の緩和を狙えないかが検討されていた。

そうすると、5000形を冷房化して回生ブレーキ化するよりも、冷房化する分の手間と費用で中古冷房車を回生ブレーキ対応車にさせた方が、導入費も抑えられて長期的にも良いと結論付けられた。

また、1990年代より京成電鉄からも冷房付きの中古車両が放出されるようになり、同社から3050形を購入することになった。なお京成からの譲渡車は500・2500形以来のことであった。

しかし、3050形に搭載された回生ブレーキは、機構がやや特殊であったことから、同様の改造が他形式に波及することはなかった。

導入計画(1991~1993年)

形式の選定

習志野都市高速鉄道では、1993年までに5000形を4連10本導入していたこともあり、数が残っている限り5000形の導入を進める予定でいた。5000形は非冷房であったので、冷房装置を新調する必要があったが、国鉄・JRの廃車発生品であるAU13を流用して改造費を抑えていた。

しかし、AU13は5台搭載時で集中式の約6割程度の能力しかなく、酷暑であったり混雑時であったりすると、冷えにくくなる問題もあった。また、単純に数を増やして対応するにしても、スペースの問題もあった。

1995年までに必要になった編成は5本で、この程度であれば都営5000形に頼らずとも、中古冷房車の京成3050形で調達できる見込みであったことから、導入が決定した。

3050形の経歴

京成3050形は1959年に都営線乗り入れ用に新造された車両である。当時京成では都営線乗り入れのため、1372mmから1435mmへの改軌を進めており、3050形は改軌が終了した区間に順次投入されていた。また登場時は2両編成であったが、長編成化に伴い4両編成に改められ、1990年には冷房化が行われることになる。

しかし、それと同時に車両更新も進み、1991年には3050形の一つ前の形式である3000形が廃車となったことで、いよいよ3050形に置き換えの番が回ってきた。1993年には3050形が運用を離脱することになるが、京成としても冷房化してすぐの車両を廃車とするのは忍びなく、一部は千葉急行電鉄にリースされたが、それでもまだ4編成ほど残っていた。

この時、京成からわざわざ習志野都市高速鉄道に譲渡の打診を行っていたらしく[要出典]、習志野都市高速鉄道の担当者は驚いたという。習志野都市高速鉄道としても導入しない理由がなかったのでこれに応じた。

譲渡後

習志野都市高速鉄道に入線した3050形は、トップナンバーを含む3051から3066までの16両(4両編成4本)で、1993年3月から1995年2月にかけて廃車となった車両である。この時、番号が並び番となったことで、京成時代の車番をそのまま使うことになった。

ところで必要になっていたのは4連5本であったが、3050形は1995年3月までに4連4本しか余剰とならかったので、2720形を4連1本新造して対応した。

余談であるが、京成3050形のモーター・駆動装置は、車両毎に三菱電機と東洋電機を併用していた。そうすると高速電車でも2つのメーカーで混ざりそうだが、三菱電機の車両が千葉急行にリースされたこともあり、4連4本全てが東洋電機製で統一された。

  • 編成表
    • 3051+3052+3053+3054
    • 3055+3056+3057+3058
    • 3059+3060+3061+3062
    • 3063+3064+3065+3066

諸改造の実施(1993~1994年)

加速力のセーブ

京成3050形は地下鉄線に入線する関係で加速力を高くとっていた。そのために全電動車の構成をとっていたが、習志野都市高速鉄道ではやや過剰な性能でもあった。とはいえ、この頃より京成・京浜急行ともに全電動車の高加速車が譲渡されるようになったので、これらの車両がいずれ充足した時に高性能化を行う目論見もあった。

とはいえ、この時点では全体の半分ほどしかおらず、全体的な底上げを図るには数が少なかった。そこで、3050形に関しては、将来高性能車が揃うまでの当面の加速度は2.5km/h/s程度に抑えることになった。

界磁添加励磁制御への改造

またエネルギー消費の観点から回生ブレーキを搭載することになったが、当時採用が広がっていたVVVFに改造するのでは機器を丸ごと取り替えなければならず、手間も費用も増大してしまう。そこで、一部私鉄で行われていた「抵抗制御車の界磁添加励磁制御化」を行うことになった。界磁添加励磁制御であれば全界磁までは抵抗制御をそのまま使えるので、機器を大きくいじらなくていいという訳である。

界磁添加励磁制御の選定理由

ところで既存の機器をまるまる使うのであれば、抵抗制御のまま回生ブレーキとしてもよいはずである。あるいは2700形のように界磁チョッパ制御とすることも考えられたはずである。そのどちらにもしなかったのはなぜなのか。

まず、回生ブレーキは架線電圧(1500V)を上回りつつも、機器への損傷を防ぐため1850Vを超えない範囲で架線に電気を返せないといけない。抵抗制御の場合、発電ブレーキで起こした電気の制御をほとんどしないため、仮にそのまま回生ブレーキに用いるとほとんど使い物にならない。具体的には、高速域では架線電圧を上回り過ぎてしまい、低速域では次第に発生する電力が小さくなるという具合である。

そのため回生ブレーキを有効に使うためには、高速域でも低速域でも「ちょうどよい電圧」となるように制御しなくてはならない。

そこで界磁チョッパ制御という、界磁電流をチョッパで自在に制御する方法が考えられた。界磁チョッパ制御では、チョッパで界磁を強めることで逆起電力を強め「抵抗」を作り制動力とした。しかし、界磁チョッパ制御はモーターを複巻モーターとする必要があった。3050形は直巻モーターであるので、モーターの交換が必要である。

この欠点を解消する形で生まれたのが界磁添加励磁制御である。界磁添加励磁制御とは、直巻モーターの界磁に逆向きの電流を流して界磁電流を弱める制御である。複巻モーターにせず直巻モーターのまま回生ブレーキを行うことが可能になり、モーターを交換せずに回生ブレーキを行うことができる。このメリットから習志野都市高速鉄道では3050形を界磁添加励磁制御化することになった。

とはいえ、3050形は購入分が16両であり、数からして手間はそこまでではなかった。また習志野都市高速鉄道では界磁チョッパ制御の2700形が在籍しており、1993~1995年ならメーカーもギリギリ直流モーター車を新造していたので、予備品の共通化という観点からも界磁チョッパ制御化という選択肢は有り得た。

それでも試験的な意味合いがあった他、2000形5000形などの他形式車への改造、3050形の追加導入などを考慮した場合、改造数が増加するため、界磁添加励磁制御の方が有利とされた。

しかし、意外なところから、他形式への界磁添加励磁制御化を断念することになる。

評判が悪かったHSC-R

これにより、3050形は回生ブレーキを常用することになったことから、発電ブレーキは使用停止とし、HSC-R(回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ)に改造された。

しかし、電磁直通ブレーキと回生ブレーキは最悪の組み合わせと言わざるを得なかった。というのも、回生ブレーキが失効した場合、空気ブレーキ切り替えまでに空走時間が生じるのだが、電磁直通ブレーキでは空走時間が約2秒発生していた。たかが2秒、されど2秒。物理的な問題として、80km/h走行時に2秒空走すると44mも進んでしまう。

これが電気指令式ブレーキであれば空走時間は約0.5秒となるが、それでも体感としては、一瞬ブレーキがかからないだけでも冷や汗ものであるという。

特に習志野都市高速鉄道では、2000形のHSC-D(こちらは発電ブレーキなので確実に電気ブレーキが作動する)を好む乗務員が運転すると、オーバーラン寸前という事態が多発した(そしてそういう運転士ほどギリギリまでブレーキかけないような運転を志向する)。また、2700形の電気指令式ブレーキを好む乗務員は、そもそも電磁直通ブレーキを好まないということで、どの乗務員からも3050形の評判はあまりよくなかったという。

運用

入線と試運転の実施(1993~1994年)

この頃の京成は3400形の改造を進めており、京成側で改造する余裕がなかったことに加えて、3050形の導入予定数が4両編成4本と少なかったことから、全車が鷺沼台車両基地で改造された。

1993年3月に宗吾参道~京成津田沼~鷺沼台車両基地のルートで、4両ずつ2本の回送が行われた。数ヵ月のスパンで改造され、改造終了後は2700形以来の回生ブレーキ車ということで、入念な試運転が行われた。

また、1994年9月に4両編成1本が、1995年2月に最後の4両編成1本が鷺沼台に入場。最終編成は工期の都合上4月頃の出場を見込んでいたので、ダイヤ改正を通常3月とするところ、1995年の改正を4月とすることで間に合わせた。

運用の開始(1994~2000年)

1993年入場分の2本は、1994年の改正で既存路線の増発を行うため、先んじて運行を開始した。

1995年の南船橋延伸時に残りの2本が運行を開始した。

環状系統への転出(2000~2005年)

長らく2本が環状系統、もう2本が湾岸系統という配置で使用されていた3050形であるが、湾岸系統の6両化に伴い1本が湾岸系統に転じた。これにより湾岸3本、環状1本の体制となる。湾岸系統で増えた分は3100形と併結し6両編成となった。しかし、3050形は回生ブレーキであったことから、ブレーキの協調がうまくいかないこともあったという。

そこで、4両編成3本から6両編成2本を組成し、3050形のみの6両編成が組まれた。この編成は後述する3150形導入による置き換えまで続けられたが、最後の大活躍であったともいえる。

引退へ(2005年)

2003年以降、1ユニットに8台のモーターを搭載する「8M車」が置き換えられる方針となった。3050形は回生ブレーキ車でありながら、その置き換え対象となった。

3050形は3150形の投入により置き換えられた。前述の通り、既存赤電と共通運用が組みにくかったこともそうだが、3050形自体が1959年の新造であり、高加速車の中でも最古参であったことも、早期に置き換えられる要因となった。

なお、3150形は抵抗制御で回生ブレーキを持たず、3150形で回生ブレーキ車の3050形を置き換えると消費電力が増大するように見える。しかし、同時期に3200形4連6本をVVVF化(回生ブレーキ化)しており、トータルでは消費電力は抑えられる目算としていた。そのため消費電力の増大については問題なしとされた。

ちなみにわずかな期間ではあるが、高加速化への対応として、2003年から引退するまでの数年は起動加速度を3.5km/h/sとしていた。

(文:総武通快)

  • 最終更新:2017-12-01 04:17:01

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